六月一日は電波の日です。日頃使っている携帯電話から発信される電波は、目には見えません。しかし、向こうで電話が鳴るということは電波が届いている証拠です。
同じように、阿弥陀さまのお姿は目には見えません。しかし、阿弥陀さまは「我にまかせよ。必ず救う」という「南無阿弥陀仏」の喚び声を発信し、常に至り届いてくださるのです。
ちょうど蛙の鳴き声に梅雨の到来を知るように、お念仏の一声に阿弥陀さまの到来を知るのです。
また、親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」を「信なり」と釈されます。ここで「信」とはまこと、嘘がないという意味です。また熟語して音信と味わうこともできます。
つまり「我にまかせよ。必ず救う」の喚び声は、真実で満ちた阿弥陀さまから私への「おたより」であるのです。
一方で私の使う言葉は相手や場合によって一貫しません。正岡子規は「紫陽花や 昨日の誠、今日の嘘」と詠みました。紫陽花の色が移ろいやすいことを、人の心や世間の無常さになぞらえたのです。環境が変われば心も変わり、言葉も態度も簡単に変わってゆくのが人間の悲しさです。
蓮如上人は「あはれといふもなかなかおろかなり」と示され、大切な方に先立たれ、大きな悲しみに沈む方にどれだけの言葉を用意しても、それはかえって思いやりの薄い「疎(おろそ)か」な言葉となり、相手の心に届かない「疎(うと)い」言葉となるのだといわれます。
そんな移ろい続ける私の心に深く届き続けて、どんな状況に陥っても決して変わることなく、本当に安心せしめ、満足せしめる言葉、それが「南無阿弥陀仏」なのです。
さて、結婚を控えた息子さんに病気で先立たれたご門徒がおられます。
実は、息子さんがお持ちだった携帯電話の解約が、十四年が経つ今もできないでおられます。
携帯電話そのものは婚約者の方がお持ちなのですが、思わず何度か電話をかけたことがあるそうです。すると、向こうで音が鳴るのです。つい「おーい」「おーい」と呼んでしまいます。でも、応答はありません。そして溜息まじりに独り話かけては電話を切るのです。
以前なら携帯電話にかければいつでも声が聞けたのです。
今でもかければ音が鳴るということは、携帯電話は常に充電され電源が入っているのであって、婚約者の方もまた思いを断ち切れずにおられるのでしょう。
とはいえ、着信と受信は全く違います。目当ての息子さんが電話に出ることはもうないのです。それでも解約ができない。そんなやるせないお心を涙してお話くださいました。
しかし、そんな理屈では割り切れない悲しみに心を痛め、常にご一緒くださる仏さまが阿弥陀さまでした。
ご両親ともに、ご法座や仏壮、仏婦、組の行事などにも積極的に参加され、今ではお正信偈もお念仏もとても上手になられました。
それを私が申し上げると「息子のことがなければこんなにはありません」と、少し照れた様子でおっしゃいます。
また、近頃メールで「これまでの仏事で有り難さや癒されたことを思い出しています。阿弥陀さまの存在を知った今、あれが阿弥陀さまのお力だったのかなと思います」とおっしゃってくださいました。
この十四年の消えない悲しみにあって、誰にも代わってもらえない、また時には誰にも分かってもらえないと涙する時、お仏壇の前に座り、おつとめをし、お念仏されてこられたのです。
その間のひと時、阿弥陀さまの嘘、偽りのないまことのお心にずっと触れてこられ「阿弥陀さまの存在」を知らされてこられたのでした。
また、そこには、先に仏さまと成られた息子さんの両親を導こうとするお心が、我知らず通っていたに違いありません。そこまでのご用意が「阿弥陀さまのお力」でありました。
浄土真宗のみ教えは、お念仏を称えたら悲しみがなくなるのではありません。お念仏をするから阿弥陀さまが来られるのでもありません。
どうしようもない悲しい心のままに、涙が流れるそのままにお念仏をするのです。
その称えては聞こえてくるお念仏の一声一声に、すでにご一緒くださる阿弥陀さまの存在を知るのです。
そこに、虚事のように受け止めがたい悲しみの現実が、気がつけば真実を聞く仏縁として転じられてゆくひと時があるのでした。
阿弥陀さまを知らされてよかったですね。
「南無阿弥陀仏」は、携帯電話の発信のごとく、私一人を直接目指して喚んでくださる偽りなきみ親の声です。人生の悲しみでも慶びでも、いつでもどこでもはじめから私一人に用事があるのです。
着信はあってもまるで受信することがなかった私へと、遠い昔から決して止むことなく喚んで喚んで喚び通しの親さまが阿弥陀さまでした。
どれほど阿弥陀さまをお待たせしたことでしょうか。私たちが泣いてきた時間の永さは、そのまま阿弥陀さまの「我にまかせよ。必ず救う」というやるせないお心の永さでありました。
<本願寺出版社『大乗』令和3年6月号「Daizyo法話」掲載>